駅前商店街の一角に移り住んだ。
花屋、衣料品店、履物屋、魚屋、薬屋、何処もそこそこ活気がある。
駅前にはパチンコ屋がある。
雀荘がある。
東秀がある。
ローソンがある。
マクドナルドがある。
COCO壱番屋がある。
オリジン弁当がある。
歩いて5分、大型ショッピングモールが2件並ぶ。
イトーヨーカ堂とイオンがそれぞれに専門店街と大きな駐車場を有する。
ユニクロがある。
スターバックスがある。
タワーレコードがある。
無印良品がある。
サンリオがある。
大戸屋がある。
ビアードパパがある。
軍用機がひっきりなしに飛び交う。
迷彩柄の飛行機が触れられそうな低空飛行するのが商店街からよく見える。
何もかもが削がれたような鋭角を見せる灰色の機体が上昇していくのがイオンからよく見える。
一瞬の黄昏を静かに見送るとスナックの灯りが無数の色を見せる。
駅前に聞こえてくるのは外国語ばかりだ。
「オーラ!」と挨拶する人たちが一番声がでかい。
次はフィリピーナの話す日本語。
その次にハングルだろうか。
日本人は声が小さい。
子ども以外は。
こんな街が何処にある。
この部屋にはテレビがない。
数年前、仕事で横須賀によく行っていた頃は、
毎晩三笠焼きを買って食べながら歩いて帰った。
JRの駅までの道すがら
港に面した公園、遠く近く目の前に戦艦ずらりと並ぶ。
それを尻目に高校生のカップルが何ぞさらしておる。
私の育った街は海の近くでそれららしい艦体を沖によく見ていたが
とある日、基地の開放日、仕事に行く前にそれらを船着場から見たそれらは
船とは思えぬ、微動だにせぬ高層ビルのようだった。
太陽を模したようなマークの旗の前で腰に腕を当て記念写真を撮っている年配男性も
艦体に備え付けられた発砲するものであろう攻撃の設備も
潜水艦内部に見学に入るための無数の人間の行列も
ピカチュウの着ぐるみを着た自衛隊の人命救助のパフォーマンスも
きれいな白い服を着た隊員の目つきも
わからないな、としか思えなかった。
写真だけは撮った。沢山。
以前はこんな夢をしょっちゅう見た。
迷彩服とヘルメットを着用した人たちが「カメラをよこせ!」との意を表す言葉を叫び続ける。
何か私が撮影していたものが国家機密的な何か問題があったのだろう。
それが何なのか、私のは分からない。
「いやです。」と断ると、取り押さえられ
スプレーの噴射で気が遠のいていく、目の前が真っ白になる。
という夢。
写真家にもカメラマンにもなれないであろう、かろうじてついた肩書きは写真作家である。
私が横須賀にて須く撮ったそれは、そのごく自然な反応は
ディズニーランド行ってテンション上がるひとのそれと同様だろうか。
そんな私もわからない、もしや私は写真家なのかと疑う。
撮るというのは野蛮なんじゃないかと疑う。
撮るのは賛美ではない。
共感を求めているわけでもない。
驚嘆を齎したいわけでもない。
「わからない」ことの強大さや多量さやその衝撃にちょっとだけ
小さく意地汚く向かってみた結果の行動かも知れぬ。
「わからない」というのは目の前で起こっている事柄自体ではなくて
目の前で起こっている事柄と私があって発生する。
うちにはテレビが無いからオバマの顔も忘れておる。
でも嗚呼、アメトークは見たい!
ビーバップハイヒールはもっと見たい!
こんな部屋が此処にある。