もう「物」を売る仕事はしばらくしたくない、と会社を辞めた私が
画廊と揉めたのは、今気づいた、当然のことです。
それに至る経緯は、コミュニケーション不全も言葉の綾も不景気も
ほんとうはまったく関係ないです、私が抱えていた問題で表れ出ただけです。
気づくのにこんなにも時間がかかったのは私の知恵が鈍かったから。
ほんとうは「物」を売っていても「物」を売っているわけではないのです。
「わたくしたち販売員はいつでも常に夢を売る仕事をしております」と本気で思って働いてきました。
お客様に合った商品を身につけてお出かけになる、そのお客様の充実した時間を約束する、夢、を
お求めいただいていたのです。
お買い物(販売)、とは、売場、とはお店と販売員とお客様と、の三者と、あと商品と、
(+商品に至る卸しの皆様及び製造の皆様と原料と・・・云々)で作り上げた「時間」のことです。
お客様に直接対することの出来る唯一の存在であるわたしたちは
商品一つ一つがここに至る経緯全部を背負ってここに立っています。
必要だと思われるご案内や私が持っている知識のすべてを一人ひとりのお客様に注いできました。
持てる想像力のすべてを、微力ではございますが、常にフルに回転させてきました。
もう一度言います、お買い物(販売)、とは、売場、とは、お店と販売員で作っているのではありません。
お店と販売員とお客様と、の三者で作り上げる「時間」のことです。
ただ、そこで、商品=「物」(という考え方)を抜いてみたい。
それは百貨店ではとても難しいことなのです。
それはスーパーマーケットではとても難しいことなのです。
この物質的消費が重なり続けている空間ではとてもとても難しいことなのです。
私は写真作家として何度も言って(書いて)きました、「声」以外は売らない、と。
それはこういうことだったのか、と今やっと知りました。
「声」、とは思想などといった意味で使ってきた言葉です。
実際に具体的に「声」以外は売らない、ことを、
それをしばらく続けてみる、価値を、知るために実践をいたします。
無力ながらも妥当な道を究めたいです、
写真作家として、写真家として、労働者として、
(消費者として、とはまだ言えない、自信がまったくない、正月にはきっとセールに行くから)
同じことを、ここに記します。
書くと、なんだか抽象的やのう。